2013年12月6日金曜日

その後

帝王切開にて分娩後3日目に会いに行った時も相当辛そうで(メールする気力と体力も無かったらしい)、どうなるかと思ったが妹は5日後に退院し、その足で臨床心理士の2次面接へなんとか無事向かった。

その後は、毎日病院に通いミルクをあげオムツを変えたり。
薬を飲んでいる身体なので、母乳は例えあげたくてもあげられないそうだ。

4週間と少し経って子供も無事2300gまで成長し、昨日退院して我が家(実家)にやって来たので見に行った。

とてもとても小さい。
頭も顔も小さい、でも今はガッツ石松(ちなみに女の子)。
でも、顔は整ってていい顔してる。
小さいのに爪も指先もしっかりできているのに、当たり前ながらその小さな構築さに驚いたりもした。

きっとこれからも波乱の日々?が続くだろう。それでも妹は幸せそうに奮闘しているのが何より私は嬉しい。

とりあえず、心から一安心。

そうそう、少しでも節約したいという事で、
ベッドも、ベッドに付いてる回るような遊具もレンタルなんですって。
とても素晴らしいサービスだわ!

ガッツ石松な優希

2013年11月21日木曜日

Petite moiré

これといってどうという事ではないのですが、

Einstein Studioの企画で出展する写真の中から、

オンラインPhoto雑誌のアムステルダムのI Love That Photography Magazine  (http://www.ilovethatphoto.net)がセレクトした写真に私のが入ってるそうです(F君が見つけて教えてくれた)

http://www.einstein-studio.com/page/wonderbox/wonderbox.html


というのは、Art札幌とシンガポールで開催されるArtBookFairに、Einstein Studioが企画する写真販売に参加することになりました。
小さいサイズでモアレ-moiré-シリーズから2点。あまりお披露目出来ないからと、カラーも1点出展しています。

スケジュール

ART SAPPORO 2013年11月23日~11月24日

SINGAPORE ART BOOK FAIR 2013年11月29日~12月1日

WEB SHOP 2013年12月2日~12月23日(12月2日にサイトオープン)


積極的に人目に晒して行きたいと思ってるのでまた展示ができるように、頑張ってます。

2013年11月14日木曜日

普通でない

妹はそれでも、相対的に大分ラッキーな方だと思う。
腎移植手術を受けたのも若かったし、移植手術から1〜2年経って腎機能も落ち着いてきた様に思う
(前にも書いたけれども、全てが万歳ではない。毎日、免疫抑制剤も飲まなくてはならないし、それによって常に免疫力は低いのだから、感染だって細胞の癌化だってリスクはこれからも健常人より高い)。

結婚しなければ、移植手術も決断に至らなかったし、
この人の為に長生きしたい、

と、愛が人を変えるってほんとにあるんだなぁと感動に近かった記憶も鮮明に覚えている。
離婚してしまったけれども、感謝している。

子供の件も、染色体異常などが原因の障害もないみたいだし、小さ過ぎて自力でまだ生きられないというのは、子供自身とNICUチームの方達ににがんばってもらうしかない。

ほんとは、普通ではないだけで悲観する要素なんかないのだ。

たくさん苦しい思いも通り越してるだろうけれども、父がいなくても自分で育てると決めたのは彼女自身だ。

そんな決断した事を告げた妹に母は、

子供はあなただけが頼りになるのだから、だから何があっても生きろ。
と、言った。

母は凄いね。




2013年11月11日月曜日

いもうとよ

上手く書けないが、私自身の為に書いておこうと思う。

妹が今日の2013年11/10に女児を出産した。

のんきな両親のおかげで知らなかったが金曜の定期妊婦健診でいつもより血圧が高く出て、緊急で昨日の土曜に入院。

妹は慢性腎不全で7年前に父親と生体腎移植をしている。
周産期医療が整っていて、かつ腎移植手術以来からかかっていて、腎移植後の妊娠を多く扱っている女子医大に通っていた。

36週未満のため様子見だったのだが今日になり、胎児の心音が心配になり、35週で緊急帝王切開で出産したそうだ。正確な数は忘れたが体重1800g程で大変小さい。

今朝は仕事で、電話が知らない03からの番号でかかってきた為、調べたら女子医大(代表)。心配になり、母に電話したのがきっかけで知った。
母は左耳の難聴が進み、電話に気付くのが遅く電話を取れず私に電話が来たのだった。

母からの話だと出産直後にNICUに入った子供は今のところは大丈夫そうだ。これから1ヶ月はそこにいるだろう。

妹は、シングルマザーになることを決めた。

家族の私達は、
血液透析の経験、
他人の身体に傷つけてまで、自分は生きる必要なんて、、、と命になんとなく投げやりな印象だった時期、
生体腎移植後の免疫低下や拒絶反応だろう腎機能低下との苦労、
その間の結婚や離婚、
彼女の、周囲に迷惑かけたくない気持ちや、私には到底めげる様な粘りのある頑張り、
それら色々な事を知ったから、シングルマザーで子供を持つという彼女の決断にはむしろ、
妊娠したことや、彼女が望んでいた子供が持てる喜びを、
彼女が持てた事が心配なりにも心から嬉しかった。

今後、彼女の腎臓はそれなりに元気でやってくれるか、
現実社会でうまくやれるか、
臨床心理士の2次試験の面接が週末あるが無事に受けられるのか、
子供を何とか育てるために、彼女は無理してまで頑張りすぎるだろう。それが1番心配だ。

今回も数日前までは順調に見えてたけど、今はなんだか大変だ。
何故、彼女に試練ばかり与えるのだろう?と思う。
そんな妹に大した気の利いた事が言えない自分が不甲斐ない。

妹の事を書いたり話したりすると、どうしても涙が止まらなくなる。

他にもっと大変な事を抱えている方もいるし、普段はプラスに考えているけれど、
どうか、どうか上手く行って欲しい。







2013年10月31日木曜日

痛くない

子宮細胞診がとうとうⅢaになってしまい、子宮組織診コルポスコピーを受けた。

医療従事者のくせに、痛い検査は嫌で気分が重かったけど、思った以上に痛くなかったし10分くらいで終わったので、苦痛は殆どなく安心した。

あとは、結果が悪くなければいい。

結果が悪ければ、円錐切除だ。


でも、今までの疲れが取れず、頭は痛くて重いし、

等々力緑地から多摩川沿いを散歩して帰りたかったけど、そのまま帰って寝てしまった。


天気がいい午後の自由時間が久々で嬉しい。


数年前はよく等々力緑地から川沿いを散歩したのは、私、結構暇があったのかな。精神的にきつい時期でもあっていろんな事考えては落ち込んだりした。


でも、あの暇が今考えるととても大切な時間だった。

写真にのめり込む何かが動いて、周囲の人にも助けられてここまで来た。

感謝しかありません。


続けて行こうと決めたし、色々な形で恩返しできるといいのですが…。


健康な身心が資本!

iPhone待受画面お気に入り

2013年10月12日土曜日

今日もほぼ悪性という人をにあたった。
見つけることが私の仕事だけれども、その人にとって本当に良かった事なのか、必ずしもわからない。


2013年10月3日木曜日

どうでもいいような事が知りたい。

知ってなるほど腑に落ちる、私の中の気になる話し。

前々から、欧米と日本の妊娠期間の数え方は何処で違いがあるのか、気になっていた。そんなどうでもいい事なんです。

英会話スクールにアルバイトしていた時、欧米人が妊娠期間が9ヶ月と言ってたので、へ?10ヶ月じゃないの?からそもそも始まっている。

ヒトの妊娠期間は最終月経開始日から数えておよそ280日。
人種は違うと妊娠期間違う…な訳ないでしょう、期間は同じなのに数え方が違うはず。

日本では、最終月経から数え始め、期間40週。4週で1ヶ月と数えるので10ヶ月。

欧米では、そもそも1ヶ月を4週と数える習慣が無いらしい。抵抗があるようだ。
1ヶ月を31日と数え、31days×9months=279daysで妊娠期間を9ヶ月としている。

その違いは、日本は日本独特の旧暦の太陽太陰暦を用いていた背景があり、月の満ち欠けの周期29.5日という朔望月(さくぼうげつ)を1ヵ月としていた。
*朔(新月)    望(満月)

明治時代に太陽暦のグレゴリオ暦を導入してからも旧暦が併用されていた。
4週間は28日で、朔望月の小の月(29日)に近い。
このため、日本では4週間を1ヵ月と受け入れやすい。
(この方のブログに詳しく書かれてました…)↓
http://s.webry.info/sp/19422.at.webry.info/201210/article_2.html

ちなみにWHOも
luner month methodを取り入れたそうだが、太陽暦のグレゴリオ暦で数えている欧米諸国にとっては、なかなか受け入れられてないそうだ。
http://www.baby2see.com/pregnancylength.html

こうやって、気になる事がGoogleなどで調べて知ることができる便利な世の中になったけど、これらのリソースは何処から得たのか、そもそも信頼性があるのかないのか、調べて行くほど、自分のブログに情報として書くことが、責任が重くなるのにだんだん面倒になってきて、

どんどんアップするのが遅れるのであった。

で結局は
私自身は、月齢の数え方でとてもしっくりいく。
という単純な結論に至った。

2013年9月30日月曜日

ほんとうの孤独とは

2週間程前に「死にゆく人の孤独について」という高山義浩氏のエッセイを朝日新聞の医療サイト、アピタルで見つけてとても共感した。

周りから孤独に死んでいくように見えても、いざ逝く当人にとっては決して孤独ではないのではないか。
「死に目に会う」ということは、患者さんのためというより、むしろその家族自身にとっての許しとなるのかもしれない。しかし、その「許し」が不完全であると家族が感じて、延命による先送りを求めることすらある。
実際居合わせた事などないのですが、とてもよく理解できます。

「目を閉じればお母ちゃんが見える」という患者さんのエピソードに、ぼろぼろ泣けてしまった。

私の母は何もしないでくれと、よく言うけれど、そうしてあげられるように、わたしも日々から許しを消化できる様、してあげられる事をしないといけない。

http://apital.asahi.com/article/takayama/2013090900007.html

以下抜粋〜

「幸福な死」というものはあるのでしょうか? まだ見えてこない課題のひとつです。ただ、医師になる前に抱いていた「多くの家族や友人に暖かく見守られ、そして静かに息をひきとる」という漠然としたイメージは、医師としての経験を重ねるうちに完全に破壊されたように思います。

人は肉体的に、あるいは精神的に苦しんで死んでゆきます。これは、どのように「死」を美化しようとも避けられない事実です。そして、私が担当してきた患者さんの多くが、いくつかの葛藤のすえ、その時を「なるべく静かに迎えたい」と考えるようになってゆきました。つまり、その時が近づくにつれて面会者を好まなくなり、とりわけ近しい人だけと過ごすようになっていったのです。

「死」とは極めて私的なものなのです。誤解を恐れずに例えるなら、「死」とは肉体による「いのち」の排泄行為であり、あるいは黄泉における「いのち」の出産行為といえます。その場面において、ときに人は苦しみ怒り、肉体の非業をさらけ出すことがあります。それはとても衆目に許せる類のものではありません。私は「死」とはもっと孤独であってもよいのではないかと思うのです。

実際、別れが来ることを自覚した患者さんは、この世から徐々に自分を切り離しながら孤独になり、その時に備えてゆきます。一気にすべてを失うことは、あまりに辛すぎるのかもしれません。だから、患者さんは仕事のことを忘れ、友人のことを忘れ、ついには家族のことすらも直視しなくなることがあるようです。

ある死を覚悟した高齢女性は、主治医である私に「子供たちはいいよ、おかあちゃんが傍にいてくれるから」と言いました。苦しそうにしている彼女を私なりに気遣って、「御家族を呼びましょうか」と声をかけたときのことです。もちろん、80を過ぎた彼女の母親はいにしえの人となっています。しかし、彼女は「目を閉じれば、おかあちゃんが見える」と言って、ずっと目を閉じていました。それを聞いて私は、彼女が彼岸へと渡りはじめていることを理解したのです。彼女は病室に独りきりに見えましたが、しかし、そうではなかったのかもしれません。

援助の手も差し延べられないまま死を迎える人、いわゆる孤独死、そういう人がおこらぬように私たちは注意深くあるべきでしょう。しかし、「ひとりでそっと死にたい」、あるいは「死にゆく姿をさらしたくない」という患者さんの気持ちがあるとすれば、それもまた尊重してゆきたいものです。だからこそ、私たちは「多くの家族や友人に暖かく見守られ、そして静かに息をひきとる」という定型的なイメージにとらわれないようにしなければなりません。

もちろん、こうした考え方はすこぶる患者さん御本人に偏ったものではあります。死に逝く患者さんの問題はいずれ終結するのですが、肉親を失う家族の問題はその後も継続します。こう考えると「死に目に会う」ということは、患者さんのためというより、その家族自身にとっての許しとなるのかもしれません。しかし、可能であれば、死の直前に「許し」のための儀式化した看取りが起こらぬよう、もっと早めに家族とのしっかりとした対話があるといいですね。ときに、その「許し」が不完全であると家族が感じて、延命による先送りを求めることすらあるからです。

Tokyo Photo

9/27金。
TokyoPhoto2013へ行ってきました。
今回は増上寺。
ParisPhotoの1/6位の規模かしら…ギャラリー数減った様な気がします(昨年比)。
覚え書きということで、
会場mapから出展していたギャラリー名、

好きだった写真と作家名、
そのギャラリー。


↑René Burri
40×70cm, Price: €4200
Gallérie Esther Woerdehogff, Paris


↑Erik van der Weijde
  30×40cm, ¥86,000
  Ten Haaf Project, Amsterdam

くそぅー、かっこいい。
あー、わたしも頑張ろう!



2013年9月21日土曜日

to Niihama

やはり、見ておかないと。
と思い、
仕事終わった足で向かいました、
愛媛県新居浜市で開催の、
白岡順 先生の個展へ。
http://www.city.niihama.lg.jp/soshiki/detail.php?lif_id=24531

到着が遅くなるのでまずは岡山でストップし、宿泊。
偶然にも、写真のお仲間さんが新居浜へ向かっているのをface book経由で知る。
連絡を取り、岡山で合流し夕飯を共にする。その夕飯が偶然にも、またとても美味しいお魚のお店だった。日付け過ぎて帰宿。
ホテルもなかなかシックかつ清潔、お値段もお手頃で快適で、朝ごはんも無料でついて言う事なかった。

この旅も、幸先上々!

次の日の朝、しおさい号で新居浜へ向かう。夜でないから、海の景色もちらほら見えて、瀬戸大橋を渡る時も楽しい。

お仲間さんは、Jun Shiraokaフリーク(自称おっかけ)なので、先生はこんなシチュエーションで撮ってたのかなと感じつつ、列車の前から見える景色に釘付け。
なかなか面白かった。

新居浜からタクシー約5分。
60点もの写真を鑑賞、堪能。
白岡先生に教わってる人の写真は、先生の写真に似て来ると、よく周りは言うけれど、
誰にも真似なんて出来ないと思うし、黒や白のトーン含め、絵柄も構図も比較する事自体、そもそも違うと改めて思う。
勿論、大きな影響を受けるのは間違いないのですが。

そうこうしてたら、もう1人お仲間が一旦向かった高松から新居浜に戻って来た。
その後ワークショップが始まり、先生は大忙し。希望者が予定人数を超え、ワークショップは2回行われることに。
なのに、事務所でお茶するのに私達に声をかけて下さったり、どなたにも気を遣われるところは先生らしい。
(先生とお仲間2人)

なんだか、当てもない旅がとても有意義なものになり、ほーんとに楽しかった。

先生の写真展を、この目で見ることができて、本当に良かったと思います。

2013年9月9日月曜日

faire la quisine

フランス語で知り合ったお仲間に料理を教わりつつ、美味しい食事を頂きました。
いろんな話をし、
楽しくて、それでいて刺激的でした。

こんな、あんな、
いい年の取り方を、したいと思わせてくれる方々に出会える事に日々感謝です。

嫌味が全く無く、何というか、心に余裕がある様に見えます。
歳を経ても向上心があって、両方のお母様の介護もしてて、クラスで頭と口使って難しい時は疲れたぁ〜と素直に言って、困った顔して笑う。

とにかく、素晴らしいひとときでした。
これも復習して、何度も作って自分の料理のレパートリーに取り入れて、我が家にお客様が来た時に備えたい。

じゃなきゃ、うちに遊びに来るといつも鍋だもんね(これはこれでとても楽しくて美味しい)。

濃い目のアールグレイと絞ったグレープフルーツジュース

コーンスープ、
プルーンとゴルゴンゾーラの胡桃和え、
帆立を和えものをチコリと、
ミニトマトのタブレ(クスクス)詰め、
ケッパー

アサリに生姜、あさつきと赤唐辛子with甘酢かけ

梅子肉(豚肉の梅味からめ)

鮭と白髪葱にさいごに熱した胡麻油ジューとかける

四種野菜の辛味噌がらめ


土鍋で炊いたご飯、ヘーゼルナッツ
お皿にとって、
つるかめのお箸で頂きます。

2013年8月26日月曜日

Chianti


トスカーナ滞在は友人夫婦のおかげで本当にリラックスできました。

友人が教えてくれてたとおり、アジア人は彼女と私だけ。

空気も野菜も美味しい。流れ星も見える。
一生分位といったら大げさだけど、その位お肉も頂いた。もう、しばらく要らないかも笑。

小さな村にくねくねと車で連れ出してくれて、キリがない位の緑が繰り出す曲線や直線、点の景観は飽きそうで変化に変化が重なり、写真を撮りたい時は何度も車を停めてくれました。
雨上がりの森は本当に美しいです。


あの広大な自然の中にいると、
写真を撮ってても、
スケールの大きさや、漠然と感じたものというのを写真という枠に収めること自体、少し無理だという気がする。
おそらく、無駄に多くキリが無い写真が多いかも。

途中でフィレンツェにも1人ぶらり旅。
けれどと、観光客の多さと暑さで少しぐったり。ドゥーモも工事
(同じ方向見て同じポーズ(カメラ持ち上げて)な人々を見てると滑稽。←そんな私もそうだけど)

(残念なドゥーモ)

してたし、写真美術館も閉まってたし、8月はヴァカンス期間という事もあり、ギャラリーも殆どしまっているという、残念感あり。
ウフィツィ美術館は前に行けなかった分、念願かなった。
宗教画中心のルネサンス美術に対して、殆ど無宗教でカトリック教養のない自分にとって、掻き立てられる何かっていうのを感じ取るのはなかなか…あまり無く。
ミケランジェロの絵画はいまいち。やはり、彼は彫刻なのだね。ローマで見た最後の審判はスケールのデッカさと色々なストーリーを一枚の絵で見る事に圧倒された記憶があるけれども。
ボッティチェリの有名な絵画は色がくすんでしまっていて今まで目にしていたイメージとは大分違う事に興味。
他には、彫刻の方が見ていて楽しかった。
風景画や人の営み(風俗画っていうのかしら)を描かれてる方が俄然好みだという事をようやく認識。

滞在中は、泊らせて頂いた部屋のベッドやバスルーム
(無駄に広いバスルーム笑)

やら、何もかも広かったのだけど、
帰って来た私の今の部屋の小ささに、違い過ぎる生活力の差を嫌でも大分感じ、
また良くも悪くも、収まって落ち着いてしまう自分になんだか変な気分。
これも大分慣れたけど、今回は何もかもがスケールが違った。

でも、野菜の美味しさの違いを感じ(やはりトマトの美味しさはかなり違う)、
長い時間空を眺めて雲の行方を漠然と目で追い、
本を読んだり、
昼寝したり、

本当にリラックスした時間を過ごす事を久しぶりにできた、有意義な10日間。
友人達の心のこもったホスピタリティにいつも感動する。
なんで私にこんなに親切にしてくれるのか、それが1番の謎かもしれない。

(うちにオーブン無いけれど、タルタタン、レシピ聞いてくれば良かったな…)



taken by Maiko

2013年8月22日木曜日

mysteries

breakfast
Siena
looking abstractly at the ripple of shinning water
nothing is perfect

the chair is still the same place

the air is really dry.

fun to hear stories about people who come to the place

the harvest under the sun 

and I realise that I'm from an asian country fortunately or not.


and there still are a lot of mysteries there.








2013年7月27日土曜日

絶対

そんなに頑張って疲れませんか?と聞かれたことがある。

その人に比べたらある事を頑張っているかもしれない。
けれども、謙遜でも全くなく、
私はたいして頑張れてないと思う。

ただ、目標なら一応あってそれに向かって、方向転換したり、新しい興味や目標が増えたり、逆にしなくなった事もあったし。
全体的にはとりあえず歩いているといったところなのか。

道は違えど他にもっと大変な状況下で目標に向かって更に努力している人達を見かける機会があると、それに比べたら、自分の努力なんて足元にも及ばないと思う。

前に坂口安吾の本で、

その五十歩の差
というものが、絶対というものだと思う

という部分を含む文にとても共感し、なんだか震えた。


青鬼の褌を洗う女 坂口安吾 (白痴 p.265)

(私は現実はただ受け入れるだけだ。呪ったり憎んだりせず、呪うべきもの憎むべきものには近寄らなければよいという立前で、けれども、たった一つ、
近寄らなければよい主義であしらうわけには行かないものが母であり、家というものであった。私が意志して生まれたわけではないのだから、私は父母を選ぶ事ができなかったのだから、)しかし、人生というものは概してそんなふうに行きあたりバッタリなものだろう。好きな人に会うことも合わないことも偶然なんだし、ただ私には、この一つのもの、絶対という考えがないのだから、だから男の愛情では不安はないが、母の場合がつらいのだ。私は「一番」よいとか、好きだとか、この一つ、ということが嫌いだ。なんでも五十歩百歩で、五十歩と百歩は大変な違いなんだと私は思う。大変で無いかも知れぬが、ともかく五十歩だけ違う。そして、その違いとか差というものが私にはつまり絶対というものに思われる。私は、だから選ぶだけだ。

2013年7月25日木曜日

lighter

ここのところ、身体の調子が良い。
今日は睡眠不足で寝坊して駅まで殆ど走って向かったけれど、足も身体も少し軽かったし、その後血の気が失せるような気持ち悪くなることも無かった。仕事も難なくこなせて一安心。

でも、最後の患者さんの乳エコーは悪性の可能性が高い所見で少しだけ凹む。

暗室に集中して入っている。
昨日は新しいカットを増やさねばと、RC生産。大分集中できた。
これでいい写真も集まるといいけど、なかなかこればかりはね、ね…。

まだ痰が絡むけれど、アルルからの帰国後に風邪をこじらせたのも回復したようだ。

身体、精神的に健康でいられる感覚。
身のこなしに冴え感を感じるようで、感謝。

これは維持したい。

2013年7月10日水曜日

暑い日差しと大らかなあの街in2013

初めてアルル国際フォトフェスティバルへ行ったのは2011年。
今年のRencontres Arles Photoraphie 2013は滞在期間も前に比べて少なかったが、見応えある展示も多くて、とても充実できた気がする。

見た展示ではViviane Sassenがとても好きだった。

そしてNuit de la Photgraphies。
カマルグそばの小さなSalin de Giraud(サラン ド ジロー)での夜スライドショーに行った事がアルルに来てほんとに良かったと思わせてくれた。
ゆるゆる飲んで(アルコール弱い自分を恨む)食べて、周辺で取れるテリーヌという小さな貝がとても美味しかった。
白岡先生は目の前のブーランジェリーでバゲットを買って来て下さり、皆で残りのソースをつけて食べる。
次はメロン買って来て、隣からナイフを借りて分け食べる。
少し歩くと塩田がうっすら見え、馬もいた。
若い男の子が牛と鬼ごっこをしてる、そんななんちゃって闘牛場もあり、刺激的な場所。

村の真ん中に戻ると、スライドショーが始まっていた。点在して歩くとまた違うスライドショーがやっている。
そんな写真好きの集まる、ゆるゆるなイベントが楽しくてしょうがなかった。

本題のフォト フォリオレビュー。

やっとキレを伴いまとまって来たのでは、とある程度自分で手応えを感じつつあった自分の作品。
でもレビューでは、データを送ってね、僕がdirectorしてるアートレジデンスの企画に応募してみて(彼らの宣伝だろう)、という以外は具体的な手応えを得る事はできなかった。
コントラストが強いのは、欧州の人にとっては慣れてないらしい印象。
相対的にみるとレビュー受けた5人中3人はそんなニュアンス。
もう少しディテールを出す様にした方がいい、余白を出すなら角の白飛びをもう少し出した方がいい、更にはプリントスキルを写真の学校で習った方がいいと言うレビュアー(この方の言う事は写真のセレクト含め、申し訳ないが聞く必要はないと判断した)もいる。ハイコントラストのプリントをそれを日本のトラディショナルと捉えてる人(森山大道の影響が強いのでは?)もいれば、この白さ、黒さがいいという人もどちらもいた。

この2年、何回かレビューやギャラリー、雑誌掲載願いに持ち込みなどをして、写真を見せる事をしてるけれども、まだまだ数は少ない。
前は一人一人に言われた事を、いちいち気にしてくよくよとしたものだけれども、この人が自分の為になる事を言ってくれているのか、私にも見極める力が必要だと感じてる。
そして、見せる作業はやはり気に入ってくれる人、ギャラリーを探す旅だと考える様になっている。
まだまだ経験も少ないし、コンセプトありきが先に来てる様な今の風潮とは違うものを作ってるだろうけれどもね。
言葉なんて必要なくなるような視覚で圧倒されるものにまだまだ到達出来てない、と思うのみ、と言い聞かせて、自分の何かを掘り下げることにこれからも頑張るのみかな。

でも、何で絵でもなく写真で表現したいのか、クリアになってきた。

現実のものがなによりも怖いし、そして、何よりも美しいと思う。

帰国したら東京はいきなり、むせ返る様な蒸し暑さに変わっていた。

2年前に来た私を覚えてくれていた宿近くのクレープ屋さんのおばちゃんにまた会いたい。大らかでこちらもいい人にさせてくれる様な人はとても魅力的。