友人が教えてくれてたとおり、アジア人は彼女と私だけ。
空気も野菜も美味しい。流れ星も見える。
一生分位といったら大げさだけど、その位お肉も頂いた。もう、しばらく要らないかも笑。
小さな村にくねくねと車で連れ出してくれて、キリがない位の緑が繰り出す曲線や直線、点の景観は飽きそうで変化に変化が重なり、写真を撮りたい時は何度も車を停めてくれました。
雨上がりの森は本当に美しいです。
あの広大な自然の中にいると、
写真を撮ってても、
スケールの大きさや、漠然と感じたものというのを写真という枠に収めること自体、少し無理だという気がする。
おそらく、無駄に多くキリが無い写真が多いかも。
途中でフィレンツェにも1人ぶらり旅。
けれどと、観光客の多さと暑さで少しぐったり。ドゥーモも工事
してたし、写真美術館も閉まってたし、8月はヴァカンス期間という事もあり、ギャラリーも殆どしまっているという、残念感あり。
してたし、写真美術館も閉まってたし、8月はヴァカンス期間という事もあり、ギャラリーも殆どしまっているという、残念感あり。
ウフィツィ美術館は前に行けなかった分、念願かなった。
宗教画中心のルネサンス美術に対して、殆ど無宗教でカトリック教養のない自分にとって、掻き立てられる何かっていうのを感じ取るのはなかなか…あまり無く。
ミケランジェロの絵画はいまいち。やはり、彼は彫刻なのだね。ローマで見た最後の審判はスケールのデッカさと色々なストーリーを一枚の絵で見る事に圧倒された記憶があるけれども。
ボッティチェリの有名な絵画は色がくすんでしまっていて今まで目にしていたイメージとは大分違う事に興味。
他には、彫刻の方が見ていて楽しかった。
風景画や人の営み(風俗画っていうのかしら)を描かれてる方が俄然好みだという事をようやく認識。
帰って来た私の今の部屋の小ささに、違い過ぎる生活力の差を嫌でも大分感じ、
また良くも悪くも、収まって落ち着いてしまう自分になんだか変な気分。
これも大分慣れたけど、今回は何もかもがスケールが違った。
でも、野菜の美味しさの違いを感じ(やはりトマトの美味しさはかなり違う)、
長い時間空を眺めて雲の行方を漠然と目で追い、
本を読んだり、
昼寝したり、
本当にリラックスした時間を過ごす事を久しぶりにできた、有意義な10日間。
友人達の心のこもったホスピタリティにいつも感動する。
なんで私にこんなに親切にしてくれるのか、それが1番の謎かもしれない。
(うちにオーブン無いけれど、タルタタン、レシピ聞いてくれば良かったな…)
taken by Maiko