「いき」の質料因たる二元性としての媚態は、姿体の一元的平衡を破ることによって、異性へ向う能動性および異性を迎うる受動性を表現する。しかし「いき」の形相因たる非現実的理想性は、一元的平衡の破却に抑制と節度とを加えて、放縦なる二元性の措定を防止する。「白楊の枝の上で体を揺すぶる」セイレネスの妖態や「サチロス仲間に気に入る」バックス祭尼の狂態、すなわち腰部を左右に振って現実の露骨のうちに演ずる西洋流の媚態は、「いき」とは極めて縁遠い。「いき」は異性への方向をほのかに暗示するものである。
〜九鬼 周三著、「いき」の構造 より〜
この部分に共感もてるところが、あぁ、わたし日本人なんだなと思ったりもする。
私にとっては彼の書いている、その「いき」が、余計に媚態性を感じる。
この本を読み始めてだいぶ経ちますが、難しいなりにとても興味深いです。
影で遊び↓