2013年7月27日土曜日

絶対

そんなに頑張って疲れませんか?と聞かれたことがある。

その人に比べたらある事を頑張っているかもしれない。
けれども、謙遜でも全くなく、
私はたいして頑張れてないと思う。

ただ、目標なら一応あってそれに向かって、方向転換したり、新しい興味や目標が増えたり、逆にしなくなった事もあったし。
全体的にはとりあえず歩いているといったところなのか。

道は違えど他にもっと大変な状況下で目標に向かって更に努力している人達を見かける機会があると、それに比べたら、自分の努力なんて足元にも及ばないと思う。

前に坂口安吾の本で、

その五十歩の差
というものが、絶対というものだと思う

という部分を含む文にとても共感し、なんだか震えた。


青鬼の褌を洗う女 坂口安吾 (白痴 p.265)

(私は現実はただ受け入れるだけだ。呪ったり憎んだりせず、呪うべきもの憎むべきものには近寄らなければよいという立前で、けれども、たった一つ、
近寄らなければよい主義であしらうわけには行かないものが母であり、家というものであった。私が意志して生まれたわけではないのだから、私は父母を選ぶ事ができなかったのだから、)しかし、人生というものは概してそんなふうに行きあたりバッタリなものだろう。好きな人に会うことも合わないことも偶然なんだし、ただ私には、この一つのもの、絶対という考えがないのだから、だから男の愛情では不安はないが、母の場合がつらいのだ。私は「一番」よいとか、好きだとか、この一つ、ということが嫌いだ。なんでも五十歩百歩で、五十歩と百歩は大変な違いなんだと私は思う。大変で無いかも知れぬが、ともかく五十歩だけ違う。そして、その違いとか差というものが私にはつまり絶対というものに思われる。私は、だから選ぶだけだ。

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