2013年8月26日月曜日

Chianti


トスカーナ滞在は友人夫婦のおかげで本当にリラックスできました。

友人が教えてくれてたとおり、アジア人は彼女と私だけ。

空気も野菜も美味しい。流れ星も見える。
一生分位といったら大げさだけど、その位お肉も頂いた。もう、しばらく要らないかも笑。

小さな村にくねくねと車で連れ出してくれて、キリがない位の緑が繰り出す曲線や直線、点の景観は飽きそうで変化に変化が重なり、写真を撮りたい時は何度も車を停めてくれました。
雨上がりの森は本当に美しいです。


あの広大な自然の中にいると、
写真を撮ってても、
スケールの大きさや、漠然と感じたものというのを写真という枠に収めること自体、少し無理だという気がする。
おそらく、無駄に多くキリが無い写真が多いかも。

途中でフィレンツェにも1人ぶらり旅。
けれどと、観光客の多さと暑さで少しぐったり。ドゥーモも工事
(同じ方向見て同じポーズ(カメラ持ち上げて)な人々を見てると滑稽。←そんな私もそうだけど)

(残念なドゥーモ)

してたし、写真美術館も閉まってたし、8月はヴァカンス期間という事もあり、ギャラリーも殆どしまっているという、残念感あり。
ウフィツィ美術館は前に行けなかった分、念願かなった。
宗教画中心のルネサンス美術に対して、殆ど無宗教でカトリック教養のない自分にとって、掻き立てられる何かっていうのを感じ取るのはなかなか…あまり無く。
ミケランジェロの絵画はいまいち。やはり、彼は彫刻なのだね。ローマで見た最後の審判はスケールのデッカさと色々なストーリーを一枚の絵で見る事に圧倒された記憶があるけれども。
ボッティチェリの有名な絵画は色がくすんでしまっていて今まで目にしていたイメージとは大分違う事に興味。
他には、彫刻の方が見ていて楽しかった。
風景画や人の営み(風俗画っていうのかしら)を描かれてる方が俄然好みだという事をようやく認識。

滞在中は、泊らせて頂いた部屋のベッドやバスルーム
(無駄に広いバスルーム笑)

やら、何もかも広かったのだけど、
帰って来た私の今の部屋の小ささに、違い過ぎる生活力の差を嫌でも大分感じ、
また良くも悪くも、収まって落ち着いてしまう自分になんだか変な気分。
これも大分慣れたけど、今回は何もかもがスケールが違った。

でも、野菜の美味しさの違いを感じ(やはりトマトの美味しさはかなり違う)、
長い時間空を眺めて雲の行方を漠然と目で追い、
本を読んだり、
昼寝したり、

本当にリラックスした時間を過ごす事を久しぶりにできた、有意義な10日間。
友人達の心のこもったホスピタリティにいつも感動する。
なんで私にこんなに親切にしてくれるのか、それが1番の謎かもしれない。

(うちにオーブン無いけれど、タルタタン、レシピ聞いてくれば良かったな…)



taken by Maiko

2013年8月22日木曜日

mysteries

breakfast
Siena
looking abstractly at the ripple of shinning water
nothing is perfect

the chair is still the same place

the air is really dry.

fun to hear stories about people who come to the place

the harvest under the sun 

and I realise that I'm from an asian country fortunately or not.


and there still are a lot of mysteries there.








2013年7月27日土曜日

絶対

そんなに頑張って疲れませんか?と聞かれたことがある。

その人に比べたらある事を頑張っているかもしれない。
けれども、謙遜でも全くなく、
私はたいして頑張れてないと思う。

ただ、目標なら一応あってそれに向かって、方向転換したり、新しい興味や目標が増えたり、逆にしなくなった事もあったし。
全体的にはとりあえず歩いているといったところなのか。

道は違えど他にもっと大変な状況下で目標に向かって更に努力している人達を見かける機会があると、それに比べたら、自分の努力なんて足元にも及ばないと思う。

前に坂口安吾の本で、

その五十歩の差
というものが、絶対というものだと思う

という部分を含む文にとても共感し、なんだか震えた。


青鬼の褌を洗う女 坂口安吾 (白痴 p.265)

(私は現実はただ受け入れるだけだ。呪ったり憎んだりせず、呪うべきもの憎むべきものには近寄らなければよいという立前で、けれども、たった一つ、
近寄らなければよい主義であしらうわけには行かないものが母であり、家というものであった。私が意志して生まれたわけではないのだから、私は父母を選ぶ事ができなかったのだから、)しかし、人生というものは概してそんなふうに行きあたりバッタリなものだろう。好きな人に会うことも合わないことも偶然なんだし、ただ私には、この一つのもの、絶対という考えがないのだから、だから男の愛情では不安はないが、母の場合がつらいのだ。私は「一番」よいとか、好きだとか、この一つ、ということが嫌いだ。なんでも五十歩百歩で、五十歩と百歩は大変な違いなんだと私は思う。大変で無いかも知れぬが、ともかく五十歩だけ違う。そして、その違いとか差というものが私にはつまり絶対というものに思われる。私は、だから選ぶだけだ。

2013年7月25日木曜日

lighter

ここのところ、身体の調子が良い。
今日は睡眠不足で寝坊して駅まで殆ど走って向かったけれど、足も身体も少し軽かったし、その後血の気が失せるような気持ち悪くなることも無かった。仕事も難なくこなせて一安心。

でも、最後の患者さんの乳エコーは悪性の可能性が高い所見で少しだけ凹む。

暗室に集中して入っている。
昨日は新しいカットを増やさねばと、RC生産。大分集中できた。
これでいい写真も集まるといいけど、なかなかこればかりはね、ね…。

まだ痰が絡むけれど、アルルからの帰国後に風邪をこじらせたのも回復したようだ。

身体、精神的に健康でいられる感覚。
身のこなしに冴え感を感じるようで、感謝。

これは維持したい。

2013年7月10日水曜日

暑い日差しと大らかなあの街in2013

初めてアルル国際フォトフェスティバルへ行ったのは2011年。
今年のRencontres Arles Photoraphie 2013は滞在期間も前に比べて少なかったが、見応えある展示も多くて、とても充実できた気がする。

見た展示ではViviane Sassenがとても好きだった。

そしてNuit de la Photgraphies。
カマルグそばの小さなSalin de Giraud(サラン ド ジロー)での夜スライドショーに行った事がアルルに来てほんとに良かったと思わせてくれた。
ゆるゆる飲んで(アルコール弱い自分を恨む)食べて、周辺で取れるテリーヌという小さな貝がとても美味しかった。
白岡先生は目の前のブーランジェリーでバゲットを買って来て下さり、皆で残りのソースをつけて食べる。
次はメロン買って来て、隣からナイフを借りて分け食べる。
少し歩くと塩田がうっすら見え、馬もいた。
若い男の子が牛と鬼ごっこをしてる、そんななんちゃって闘牛場もあり、刺激的な場所。

村の真ん中に戻ると、スライドショーが始まっていた。点在して歩くとまた違うスライドショーがやっている。
そんな写真好きの集まる、ゆるゆるなイベントが楽しくてしょうがなかった。

本題のフォト フォリオレビュー。

やっとキレを伴いまとまって来たのでは、とある程度自分で手応えを感じつつあった自分の作品。
でもレビューでは、データを送ってね、僕がdirectorしてるアートレジデンスの企画に応募してみて(彼らの宣伝だろう)、という以外は具体的な手応えを得る事はできなかった。
コントラストが強いのは、欧州の人にとっては慣れてないらしい印象。
相対的にみるとレビュー受けた5人中3人はそんなニュアンス。
もう少しディテールを出す様にした方がいい、余白を出すなら角の白飛びをもう少し出した方がいい、更にはプリントスキルを写真の学校で習った方がいいと言うレビュアー(この方の言う事は写真のセレクト含め、申し訳ないが聞く必要はないと判断した)もいる。ハイコントラストのプリントをそれを日本のトラディショナルと捉えてる人(森山大道の影響が強いのでは?)もいれば、この白さ、黒さがいいという人もどちらもいた。

この2年、何回かレビューやギャラリー、雑誌掲載願いに持ち込みなどをして、写真を見せる事をしてるけれども、まだまだ数は少ない。
前は一人一人に言われた事を、いちいち気にしてくよくよとしたものだけれども、この人が自分の為になる事を言ってくれているのか、私にも見極める力が必要だと感じてる。
そして、見せる作業はやはり気に入ってくれる人、ギャラリーを探す旅だと考える様になっている。
まだまだ経験も少ないし、コンセプトありきが先に来てる様な今の風潮とは違うものを作ってるだろうけれどもね。
言葉なんて必要なくなるような視覚で圧倒されるものにまだまだ到達出来てない、と思うのみ、と言い聞かせて、自分の何かを掘り下げることにこれからも頑張るのみかな。

でも、何で絵でもなく写真で表現したいのか、クリアになってきた。

現実のものがなによりも怖いし、そして、何よりも美しいと思う。

帰国したら東京はいきなり、むせ返る様な蒸し暑さに変わっていた。

2年前に来た私を覚えてくれていた宿近くのクレープ屋さんのおばちゃんにまた会いたい。大らかでこちらもいい人にさせてくれる様な人はとても魅力的。