2016年2月4日木曜日

2016年1月16日土曜日

未知の海 (写真展のお知らせ)

unknown sea_0000
未知の海

1.15(Fri) – 2.20(Sat). 2016, 11:00-18:00
(close on Sunday & Monday)

Gallery Pastrays (Yokohama, Japan)

Akiyama building 1stFloor, 246-5, Yamashita-cho, Naka-ku, Yokohama

横浜市中区山下町246-5秋山ビル1F  TEL: 045-661-1060
station: 6mins from Ishikawa-cho (Keihin-Tohoku Line, 京浜東北線)
    8mins from Motomachi-Chukagai (Minatomirai Line, みなとみらい線)

http://imaonline.jp/library/exhibitions/michinoumi/


2016年1月14日木曜日

深みが欲しい

那須からの帰りがけにの空を見上げた。
夜空の暗みの深さが圧倒的に違う。星の数もたくさん、輝きも一層増している。
今年初めておろしたカシミヤのマフラーをぐるぐると巻いて体温を纏ったその温かみに包まれて、澄み切った冷たい空気を感じながら、吐く息の白さと尖った月を見ていると、ちょっと感動する。

こちらに帰ってきて空を見上げると、暗さの深みが足りない。
ちょっと、とぼとぼ。

2015年12月9日水曜日

5dec 2015

様々な夢を見た

記憶に残っているものは、実際考えれば起こりえないことだが、何か少しの変わりで現実に起こり得る様な事だったりして、たまに不思議な気持ちになる。
そこには、自分の漠然とした考えや不安、そして願望が表れ出たのだと理解できる。
ただ、夢の中の人はみな元気で変わらずに接して来、私はそれに安心する。
それが願望だ。
堰き止めていたものが決壊する。



2015年9月20日日曜日

キュビさんとズムくんが

「きみ、分かってないねぇ。
柄モノのスカートとじゃ、どちらも映えやしないよ。」

と、ある日の装いに対して、そう言わんばかりの、主張性がすこぶる高いキュビズムソックス。

2015年8月27日木曜日

ユウタナジイ

森鷗外の高瀬舟と高瀬舟縁起を読んで。

ユウタナジイは楽に死なせるという意味である〜と書いてあり、つまり安楽死という事は理解したのだが、恥ずかしながら古くからの言い伝えの日本語のまじない的な言葉だとばかり思い込んでいた。

ある日ふと、英語euthanasiaの単語が目に入り、これが森鷗外の書く「ユウタナジイ」ということなのだと漸く気付いた。
頭の回転は遅いが、言葉の点と点が理解への線につながると結構嬉しい。

英語のスペルからだとユウタネ〜ィジアだろう、ちょっと違う。森鷗外はドイツに居たのだから彼の云うユウタナジイはドイツ語由来なのかしら。それともラテン語?ラテン語の綴りは見つけられず。ドイツ語だとEuthanasie(発音はオウタナジイに近い感)。
フランス語だと euthanasie ドイツ語と同じスペル。発音はウタナジに近い印象。

weblio辞書によると、語源はギリシャ語によるもので「幸福な死」という意味だそう。言葉がとてもポジティブな印象だ。

高瀬舟の事は、尊厳死協会の冊子のコラムで見かけて読んでみようと思ったのだった。この話は「翁草」に出ていて、この問題を森鷗外自身が興味を持ち、中央公論に発表したものである。江戸時代に京都の罪人流罪になる際に高瀬舟で大阪に廻される。それを護送する際に罪人の話を聞くのだが、ある人を護送した時、この人のした事は罪なのだろうかと、護送する者は考え込む。
想像より昔から安楽死の問題は提起されていたのだと実感した。

青空文庫の高瀬舟縁起から引用〜
死にかかっていて死なれずに苦しんでいる人を、死なせてやるという事である。人を死なせてやれば、すなわち殺すということになる。どんな場合にも人を殺してはならない。『翁草』にも、教えのない民だから、悪意がないのに人殺しになったというような、批評のことばがあったように記憶する。しかしこれはそう容易に杓子定木しゃくしじょうぎで決してしまわれる問題ではない。ここに病人があって死にひんして苦しんでいる。それを救う手段は全くない。そばからその苦しむのを見ている人はどう思うであろうか。たとい教えのある人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦しみを長くさせておかずに、早く死なせてやりたいというじょうは必ず起こる。ここに麻酔薬を与えてよいか悪いかという疑いが生ずるのである。その薬は致死量でないにしても、薬を与えれば、多少死期を早くするかもしれない。それゆえやらずにおいて苦しませていなくてはならない。従来の道徳は苦しませておけと命じている。しかし医学社会には、これを非とする論がある。すなわち死にひんして苦しむものがあったら、らくに死なせて、その苦を救ってやるがいいというのである。これをユウタナジイという。らくに死なせるという意味である。高瀬舟の罪人は、ちょうどそれと同じ場合にいたように思われる。私にはそれがひどくおもしろい。
 こう思って私は「高瀬舟」という話を書いた。『中央公論』で公にしたのがそれである。